我が弟が虹の橋を渡るまで
今までも、こんなどうしようもない気持ちの時には文字を書いて心を落ち着かせていた気がするので今回も書きます。
私と飼い犬の思い出もありますが、亡くなる間際の詳細も書いてあるので苦手な方は自衛してください。
初めて出会ったのは私が12歳ぐらいの時でした。
認知症が始まっていた母方の祖母に何か刺激をと、母に頼まれて覗いたオンラインのペットショップに居たのは3ヶ月のアプリコットのトイプードル。
ペットの販売目安は〜3ヶ月な事と、トイプードルは小さければ小さいほど高いそうなのですが彼は3ヶ月にしては大きいそうで(結局10年経ってもそこまで育たなかったんですが)、その当時は「少し育ってしまっているため値下げしています」と書かれていました。
育った子の方が祖母も慣れやすいかも、とすぐにその子に決めて買取の連絡を両親にしてもらい、千葉県から遠い遠い南の島まで飛行機でやってきた彼。まだ奄美空港が古く、貨物扱いの受け取りは搭乗とは別の隣の建物で、ピンクの小さなケースに入れられ震えていた姿は今も鮮明に覚えています。
祖母の認知症の助けになったかどうかは分かりませんが「あなた、どこから来たの?」と話しかける祖母は楽しそうだったし、私との散歩はずっと走っているか絶対に動かないの2択のくせに、祖母と歩く時はペースを合わせてゆっくり進んでくれる彼の存在はあっという間にかけがえのないものになり、私の弟扱いで家族に溶け込んでいました。
私達家族にとっても初めてのペット。何を食べさせれば正解なのか、散歩の頻度はどれぐらいがいいのか、しつけの本を片手にみんなであたふたする日々。
野良猫を追いかけ山に走り去るのを追いかける事もあれば、迷子になって家族総出で探してたら通りの向こうから知らん顔で帰ってきたり、散歩中に前を見て歩かずに川に落ちたり、隣の家のおじさんの布団に勝手に潜り込んだり、相当やんちゃ坊主。
食いしん坊で、なんとしてでも人のご飯を狙ってくるし、母が私を迎えに来る車で通りすがりの女子高生に「可愛い〜!」と言われたら振り向いてドヤ顔する強かさもありました。
父との朝の散歩が終わると一目散に玄関から2階に上って、私の部屋に来てベッドに飛び乗り暴力的に私を起こしてきたし、夜はかわりばんこに誰かの布団に潜り込んで睡眠を邪魔していました。
そんな彼の転機は、私が上京する直前の12年前。ひとつは弟(黒のトイプードル)が1人増えたこと。もうひとつは、なんの前触れもなく倒れて痙攣。病院に行くと「てんかん」だと診断されました。
犬もてんかんになるのか…(そりゃそうだ)と、思いながらも、その時私はもう家を出る身で。何度も発作を起こし、倒れて痙攣する彼に寄り添うことすら出来なかった。
でもまあ、両親が彼にずっと付き添ってくれました。食べることが大好きで頑固なので薬が入っていると意地でも拒否していたのですが、根気よく飲ませ続けました。おかげさまでここ3.4年はほぼ発作もなく、穏やかに過ごしてたと思います。
年に1.2回の帰省でも覚えてくれていたし、変わらず布団に潜り込んで睡眠を妨害してきたし、朝の散歩の行きは全力で拒否するくせに帰り道は誰よりも早く歩くお茶目(?)な弟たち。
ずっとこんな日が続けばいいのに、と何度思ったかはわかりませんが、やはり生き物なのでそういう訳にはいかず…。
5年前ぐらいから、大好きだったボール遊びは全く興味が無くなりました。無駄に広いベランダで、走り回らずにごろごろと日向ぼっこするだけになりました。
3年前ぐらいから、昼間は父の布団の上で基本的には寝てるだけに。食べるのが好きでぷにぷにだった身体もどんどんと細くなり、くりくりだった巻き毛もちょっとずつ色が薄く、細くなっていきました。
それでも朝の散歩は毎日必ず1時間、夕方30分と、父と欠かさず行きました。雨の日も風の日もルートを変えても、必ず。
帰省時には私も朝5時に起きて付き添っていましたが、今回の帰省時にも歩く速度こそ遅いものの、しっかりとした足取りで歩くのです。
なので、家の中でも水が飲みたければ自分で起きて飲みに来るし、ご飯もトイレもちゃんと歩いていました。
たまに付き添った病院の先生が言うには、老犬になると寝たきりと痴呆も相まって昼夜が逆転し、夜鳴きが起こるそうですが、朝の散歩のお陰かそんなことは一切なく、今回の帰省でも、「思ったより元気そうだなあ」と、ずっと思ってたんです。
帰京を翌日に控えた日曜日。朝の散歩がやたら辛そうなので、何度か抱えて歩かせないようにしていたのですが(でも歩こうとする)、家に着いた頃10秒おきに震え出し、おや?と思った時には数年ぶりのてんかんの発作を起こしていました。
父が抱いたまま落ち着かせても、ぐったりしたまま。ベッドに1度寝かせて、1日ずっと様子を見ましたが動かず…このままだとどうしようと思っていたんですが。
夕方、けろっとした顔で歩き出し元気に散歩に言ったので「発作が起きただけか〜」となりました。ただ、ご飯を頑なに食べようとしなかったので、水だけスポイトで飲ませて次の日病院に連れていくことになりました。
そして翌日、私が東京に帰る日。朝5時に起きて実家の1階に降りたら、いつものクッションで寝ている彼は首をだらんとさせたまま、昨日飲ませた水を吐いていました。
散歩に連れていくのはやめて下の弟だけ連れ出し、帰ってくると「なんで置いていったん?」みたいな顔してこっちを見るので「病院行くから待ってね」と声をかけて撫でると、首だけキョロキョロ動かしてました。その様子は普通に、いつも通りの彼でした。
母が大好物のブロッコリーを口元に持っていくと、食べたそうに口を開けるんですけど飲み込む力がなく…詰まらせても怖いので口から出して、もうちょっと待っててね〜なんて宥めていたのですが。
私がお風呂から上がったら、横になってぐったりとした彼がいました。父が気分転換に庭に出してみたら、急にぐったりとしたようで。
今考えるとおそらくそこから意識は無かったのかもしれません。呼吸はしているものの全く動かず、毛布にくるんで抱いたまま、「あと1時間で病院だからもう少し待ってね」と、母と何度も撫でました。
病院について、予約がなかったので10分ぐらい待合室にいた時に、私は涙が止まらなくて。このまま死んだらどうしよう、まだもう少し頑張ってくれないかなと思いながら頭を撫でたら、目がちょっと動いてこっちを見たので、「大丈夫だよ」と撫でました。おそらくそれが彼の最期でした。
呼ばれて診察室に入ったら、先生の第一声は「もう心臓が止まってるかもしれません」と。改めて確認しても、やはりもう心臓は止まっていました。17歳の大往生でした。
「まだ温かいので、おそらく今待ってる間に眠るようにいけたと思います。」
「土曜日の時点で来ていても延命しか出来なかったので、この歳でてんかんと肝臓疾患があり、それでも寝たきりにならず穏やかに天国に行けたのは奇跡です。」
その言葉を聞きながら息ができないぐらい大声で泣いてしまい、専門学生の見学の子達もいたので先生が気を使ってドアをそっと閉めましたwwwww泣き方うるさくてすまんwww
詰め物をしてお渡ししますね、と診察室を出た後、母とふたりで涙が止まらず、さっきまで「お幾つですか〜」「あら可愛いですね〜」なんて話してた待合の人達も察してくれてたと思います。みんな限界まで我が子を愛してくれ。
先生の手から帰ってきた我が弟は、まるで生きてるかのように綺麗な顔で戻ってきました。「きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで。」状態。またそれを見て泣いて、先生にお別れを言いながら車の中で抱きしめて泣きました。帰りは私の運転だったので事故らないようにいつもの3倍目を見開いて運転しました。逆に目乾いたんじゃないのあれ。
まるで計ったように私が帰る日に息を引き取ってくれたのは、彼なりの頑張りだったのかもしれません。東京で生活している時点で絶対に死に目には会えないと覚悟をしていたので、この2週間毎日一緒に過ごし、最期のその瞬間私の腕の中に居てくれたことは、本当に本当に幸せでした。
父にも連絡して帰ってきてもらい、みんなでいつも寝ていたクッションに寝かせて囲んでお別れをしました。翌日火葬になったので私は立ち会えませんでしたが、たくさん匂いを嗅いで抱きしめました。下の弟は何度も匂いを嗅いでは戸惑ってこっちを見てくるので、「お兄ちゃんとは今日でお別れだよ」と言うと不思議そうな顔をしていました。多分分かってない。笑
ところでおそらく天国に行く際に、母方の祖母はもちろん、「私は犬は嫌い」と言っていた割に散々構って遊んでくれた父方の祖母も迎えに来ているんじゃないかという話になり。
前にちょっとブログで書いたんですけどうちの父方の祖父は稀に見るクソジジイ(出典:死んだ祖父に会いたい - 溺愛パンデミック)だったので、「天国であってもしっぽ振ったらアカンで」と言い聞かせておきました。父が泣きながら爆笑してた。
何度、亡くなる前日に撮った動画を見ても嘘みたいです。自分で歩いて、首を振って、ちょっと元気がなくてもそんな気配は無かったのに。いつか来ると分かっていても、その時は突然で呆気なかった。
そして今日、無事に納骨しましたと連絡が来ました。小さな骨壷の写真を見ながら、ちょうど仕事が忙しくてブチ切れていたので、ブチ切れながら泣きました。ちーちゃくなっちゃってまぁ。次に帰った時にも抱きしめて、大好きだった食べ物を仏前に並べてあげたいと思います。
17年間、私の弟でいてくれてありがとう。
兄弟も居ない南の島に1人でやってきて怖かったと思うけど、新しい両親と姉と弟が出来て、少しは幸せな人生…犬生?だったでしょうか。
この先もずっとずっと貴方は私の弟です。もう少し時間はかかるかもしれないけど、パパもママも、私も弟もいつかそっちに行くので、それまでおばあちゃんたちと待っててね。
愛してるよ。