あまくて にがい

「好き」って言って 他に何もいらないから

2020年は3次元未満しか推さないからな

いろんなことがあった、2019年。悲しかったことも、うれしかったことも、思い出は全て2019年に置いていこうと思ってこれを書いています。

 

今年は、世間ではまず元号が変わり、G20があったり、ワールドカップがあったり。良くも悪くもてんやわんやな年だったと思いますが、私も例にもれずとても(おたくとして)波乱に満ちた1年だったのではないかと思います。

知ってる人は知っている、2019年ジャニオタ春の強制退会祭りのブログ*1がバズり、怒りが抑えきれず「あの事務所には1円たりとも金はやらんぞ」と心に決めて早半年…ジャニーズがいない生活にも慣れ始め、しかしながらやはり推しが定まってないのでここらで一旦ケジメ(笑)をつけることにしました。

私が何にハマり、何があって、なぜ今こんな記事を書いているかに関してはもう散々前のブログで語っていたことなので割愛します。でも、なんとなく前のブログのエントリーを読み返しているうちに「こんなことあったなあ」「あんなことしてたわ」って思い出がよみがえってきて、なんとなく感傷に浸りたい気分だったの。

 

 最近バンギャだったころの癖が抜けてきたなあと感じることが多々あります。

財布に500円玉をためなくなった。やたら小さいショルダーバッグはすべて捨てた。昔より水分もとるようになったな。上手下手も一瞬で答えられなくなったし、多分もうヘドバンをしろと言われても昔のようにはうまくいかない。チェキホルダーは殆ど触ってないのでホコリがたまっていたし、曲を聴くときにベース音をだけを聞き取ろうと必死になることもなくなった。今聞いても、知らないライブハウスがいくつかある。もう、バンギャじゃないんだな~としみじみ思いました。

 

ジャニオタになってすぐの頃、自担の外部舞台が決まり、激戦のチケットと縁がなかった私は訳のわからないまま申し込み、無事ジャニオタとして劇場に通うようになるのですが…本当に畑が違うんだなって何度も困惑した記憶があります。

劇場やアリーナの中に軽食が売っているなんて考えたこともなかったし、物販では袋がないのでバンギャで癖になった「箱では小さなカバン」ルールでは持ち帰るのに苦労することを知りました。並ぶのにかなり時間を要することも。そりゃ、規模がすごいからわかってはいたんだけど、コンサートグッズを買うのに3時間なんてそれまで想像したこともない途方な時間でしかなかったのです。

前述の舞台の千秋楽のチケットを運よく一般販売で手に入れた私。友達がいないのになぜか3枚で取ってしまい、困り果てた挙句にTwitterを彷徨いチケットを探している中でなんとなくピンときた同担に声をかけ、「え?ほんとにそっちから声かけてきて定価で譲るんですか?念のためLINE教えてもらってもいいですか?」と野良猫ばりの警戒心を発揮させてしまいながら*2、初めてたった一人で大阪に遠征をし、今思えば「私めっちゃ行動力あるやん!!新卒なら履歴書にドヤ顔で書くわ!!」と思うぐらい私にとっては大冒険の始まりだった。

その時チケットを譲った方と、せっかく大阪に行くんだから!と同時期に開催していた関西ジュニアの松竹座公演(もう引くぐらい激戦)をこれまた定価で譲ってくれた方は、その後も私がジャニオタをやめるまで(まあ今も付き合いはあるんだが)それはそれは良くしてくれました。

好きになって初めての大阪城ホールのチケットが外れて落ち込んでいる私に、もっといい条件の交換があっただろうに「チケットあるから私と一緒に入ろうよ」って声をかけてくれたり、初めてのグッズの買い方がわからなくて、駅でおたくの多さに慌てふためいているところを見つけて自分の買い物は終わったのに最後までついてきてくれたり、どうしても癖で最低限の荷物しか持ってこない私に、グッズを買う列に並びながら「お茶もってるから、飲みたかったらいつでも言ってね!」って言ってくれたり。

 

私が足を伸ばしたのは大阪ばかりでしたが、東京でも大阪でも、それからたくさんの友達が出来ました。私がいけない公演でも「グッズ買ってきといたよ!」って渡してくれたり、日程が被ればマチソワの少ない時間でもお茶をしてくれたり、ちょっとTwitterがバズり始めてからは「ツイートが面白くて好きです」って言ってくれる人が増えたり。前の職場ではジャニオタとして仲良くなった先輩たちもいます。未だにご飯に行ったり遊びに行く優しい友人になりました。

バンギャの時はあまり友達を作りたくなくて、ほとんどリア友と閉鎖的交友関係で通っていました。そもそも箱も200人前後のとこばかりで、みんな顔見知りな雰囲気も苦手だっただけですが。何人か友達はできたけど、未だに交流があるのは1人だけですね。

私はあの時、助けてもらったたくさんのタイミングの中で、ちゃんとお礼を言えたでしょうか。みんなにたくさんたくさん助けてもらったのに一人戸惑ってばかりで、お礼もお座なりになっていたんじゃないかと今更ながら不安です。思い出せば思い出すほどに、泣きたくなるぐらい感謝の気持ちしかないのに。

ここでいうけど、みんな本当にありがとう。あなたたちが差し伸べてくれた優しい手を絶対に私は忘れません。私も、同じように手を差し伸べていけるおたくであり続けたいと思っています。沼は人が多いほうが潤うしな~~。

 

そんなことを考えながら、12月に入ってから本格的にケジメの準備を始めました。持っていたアイドル雑誌や写真、グッズの類を手放すことにしたのです。

 割と几帳面だなあ私…って思ったんですけど、全部解体して順番にファイリングしてあったので、まとめて友人に譲ることにしました。やはり整理しながら内容を確認してしまった為、たくさんの思い出がよみがえってきて泣いたり笑ったりで、かなり時間がかかり…最後の担当は入所当時の中学1年生から4年分の成長した写真があるのでさすがに手放すのが惜しく、まだどうしようか考えているところです。

円盤類は舞台なども作品として好きなので一応手元に残そうかなとは思っているのですがそれでもすごい量だなと思います。最初の熱量で集めに集めた過去作品のなかでかなり気に入っている作品もあるので、うーん、やはり捨てづらいんです。

 

最近こう、考え事をすることが多く、なんか漠然と思ったことなんですけど。

3次元を推すの、向いてないのかなって最初は思ったんですよ。長年バンギャをしておきながらこんなことを言うのもなんですが、バンギャとして最後のほうの記憶はめちゃくちゃ泣いて泣いてさよならしたことだったからもうバンギャにも戻ることは無いんだろうなと思うし、ジャニオタも結局運営にキレ散らかして「やってられっか!!!」って思って決別したわけだから、もうその、予定調和じゃないこと、生物として生きているが故の臨機応変さを求められるコンテンツというものが苦手なのか、もしくは年取って苦手になったのかなって。年々わがままにも口うるさくもなるし、「音響ちゃんと整えてから幕あけろよ」って今年3回キレたし(笑)、そういうのも要因でダメになったんじゃないのかなって。

もちろんそりゃ2次元も突き詰めりゃ声優さんとか原作者さんと書いて最終的には生物が生きている臨機応変はたどり着くんだけどさ…それ極論ね。

 

で、もう「来年からは3次元未満しか推しません」って知り合いに宣言したらめっちゃ笑われた。「2.5次元も入るもんね」って。入りますよ。めっちゃ昔は特撮の同人探すときだけ2.5次元って言ってたのに今や意味も変わって市民権を得ているからね。めっちゃ買ってた。当時の描いてもらったスケブも何故か雑誌に混ざって出てきた。ほらもう古の腐女子はすぐ要らんこと言う。

別に意志が固いわけじゃなく、もしかしたらこの先また何かのきっかけでそういう推しが出来ることがあるのかもしれないけど。一旦、2019年でこの気持ちはここに置き去りにしていきたいと思います。

 

これまでにたくさんの友人が出来たこと、感謝しかないです。そして新しい界隈(今)も、また少しずつ友人が増えていて、「ああ、だからおたくはやめられないんだ」って思うことも何度もあります。きっと本当に私は死ぬまでなにかのオタクであり続けると思うんだけど、いつかバンギャみたいに「私もうジャニオタじゃないんだ~」ってけらけら笑えるまでになりたいですね。2020年から先もずっと楽しいおたくでありますよう。いつかこの時のことを思い出して、いい思い出だったなって笑えるように。そして来年は2列目のチケットを紙切れにしませんように。(自戒)

 

それではみなさま、少し早いですが、よいお年を。

*1:サイゾーウーマンよ、私はまだ貴様を許してない。

*2:当時は高額転売とかそんなものあるなんて思ってもなかったんだよ…ドマイナーギャだから…